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1987.4 レーシングコースを大規模改修。
     現在のレイアウト、3.7375km。(2輪)
1987●東北自動車道が全線開通。
1989●仙台市が日本で11番目の政令指定都市に
1990●F1日本グランプリで鈴木亜久里が日本人初の3位入賞。
1993●サッカーJリーグ開幕。
1995●阪神・淡路大震災。
1997●消費税率を5%に引き上げ。
1998●冬季長野オリンピック開催。
2001●ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開園。
2004●新潟県中越地震。   
1975年のオープンから12年。スポーツランドSUGOのロードコースがFIA、FIM公認のインターナショナル・レーシングコースに生まれかわった。選手たちからは『これは単なる改修ではなく、新しいコースの誕生だ!』と歓迎されるほど大幅な変容をとげた。1076.8m延長され、4輪で3.704256km、2輪で3.73750kmとなったコース全長。最大の特徴は、これまでのハイスピードコースとしての魅力に、テクニカルコースの要素をふんだんに盛り込み、変化に富んだシーンをつくり出していること。
一方、観客にとっても、グランドスタンドからの眺望が大きく開け、観戦の楽しさが倍増。観戦エリアの観客収容能力も約5万人に拡大。
 
30Rの第1コーナーから第2、第3コーナー、ヘアピンまで下り、S字からハイポイントコーナーまでが緩い上りになる。そして従来の馬の背コーナーを回り込むとSPイン、SPアウトが新設された。ピットも改修され、プラットフォームの設置、ピットエリア、ピットロードも改修された。
1987.7 国内フォーミュラカーの最高峰、
     全日本F3000選手権第6戦を開催。
 
記念すべき第1回大会は37,500人の観客が見守る中、"日本一速い男"星野一義が優勝。また、ヤマハのOX77エンジンを搭載した鈴木亜久里も、翌88年にはシリーズチャンピオンを獲得している。このエンジンは後のF1用エンジンOX088へと発展していく。
それまでのF2からF3000とシリーズが変わり。鈴鹿でF1の開催が始まりセナ、プロストなど空前のF1ブームを迎え、さらにバブル景気で国内のF3000シリーズにも多額の資金が流入。SUGOのレースにも「CABIN」「LEYTONHOUSE」「Marlboro」など華やかなスポンサーカラーに身を纏った19台が参加。星野一義がSUGOのF3000初開催レースを制した。このレースではヤマハの5バルブエンジンOX77がデビューし話題を呼ぶ。翌1988年7月のレースにはレイナードが初参戦、ジェフ・リースによってデビューウインを飾る。1995年まで9戦が行われ鈴木亜久里、片山右京、中野信冶、高木虎之介などが参戦。また、片山右京が菅生で行われたヤマハのF1テストに参加などレベルの高いシリーズとなり、多くの選手をF1に送り込むこととなった。  
1987.8 TTフォーミュラ世界選手権を初開催。  
プロダクション・ロードレースの最高峰、TTフォーミュラ世界選手権が初開催。ヤマハYZF750を駆るケヴィン・マギーが2位に大差を付けて優勝。同時開催のTT-F3でもヤマハの塩森俊修が勝利をモノにした。
わが国初の大会として注目を集めていた「ポカリスエット'87 SUGO TTフォーミュラ世界選手権レース」が、8月30日、新装になった3.7キロのSUGOインターナショナルレーシングコースに過去最高の48,000人の観客を集め開催された。16名の外人選手を含め56名がエントリー。雨の公式予選を経て44台が決勝レースに進出。日本人ライダーのリードで始まった決勝レースは、中盤まで先行する大島行弥と激しく追い上げるヤマハYZF750を駆るケヴィン・マギーがテールトゥノーズのデッドヒートを展開。しかし終盤にはさすがのGPライダー、ケヴィン・マギーが2位の大島に大差を付けて優勝。7月の鈴鹿8時間耐久につづいて日本で開催された世界選手権レースを連覇した。  
1988.8 スーパーバイク世界選手権を開催。  
ヤマハYZR750を駆るマイケル・ドゥーハンがSUGO初開催レースに見事優勝。その後、5年連続チャンピオンを獲得するなど世界GPの絶対王者へと成長していく。
世界選手権の冠を得た新カテゴリー、スーパーバイク世界選手権シリーズは第9戦で戦われ、2ヒート制で行われる。その第5戦が8月28日にスポーツランドSUGOで開催された。あいにくの悪天候にもかかわらず45,000人の観客が詰めかけた。その第1ヒートはウェットコンディションのため転倒者が続出したものの、中盤にはヤマハFZR750の町井がトップを独走。しかし、残り2周というところでコースアウト、スズキのゲイリー・グッドフェローに優勝をさらわれた。続く第2ヒートは混乱したレース展開の中、マイケル・ドゥーハンが2位に7秒差をつけ、FZR750とともに大観衆の声援を受けながらチェッカーをくぐった。ドゥーハンはこの勝利を機に本格的に参戦、世界GPのチャンピオンの道を歩み始める。  
1990.9 全日本スポーツプロトタイプカー耐久、
     インターナショナル500km開催。
 
ル・マン24時間などで知られるスポ ーツプロトタイプカーで争われる耐久レース。全日本戦ではポルシェ、トヨタ、ニッサンが三つ巴の戦いを演じている。初のSUGO大会ではニッサンのワークスCカー/ Y H P ニッサンR90CPに乗る長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組が制した。
1990年9月JSPC(全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)第5戦がSUGOで初開催された。JSPCは、1982年にル・マン24時間レースを頂点とする新カテゴリー、グループC規定を国内シリーズ化。迫力あるマシンと1983年から富士で行われた「WEC」とル・マン制覇を目指すワークスのトヨタ、ニッサンが打倒ポルシェに燃える構図のシリーズ。毎回4万人を越える観客が詰めかけ人気を集めた。SUGOでは1992年までの3年間に4回開催され、1991年は、9月に第5戦、11月にも最終第7戦、1992年9月に第4戦が開催されたが、この年でシリーズの終焉を迎えた。シリーズは過渡期を迎え、後に全日本GT選手権を経てスーパーGTに至る道とジャパン ル・マン チャレンジに至る道とに分離する。  
1990.11 N1耐久選手権SUGO400km開催。  
市販車を小改造した車両によって行われるツーリングカーで争われるN1耐久選手権シリーズ。シリーズ第3戦として行われた第1回大会はニッサンスカイラインGT-Rの圧勝。
JAF-NⅠ規定でエンジンやサスの改造がほとんど許されない、レースのために安全面の対策だけが許されるカテゴリーで1990年にノンタイトルで始められた。このNI規定の車両でレースを行うことから「N1耐久」と呼ばれた。エントラント等の要望により全日本選手権のタイトルは掛けられてこなかった。参加選手も他のレースに比べてよりアマチュア色が強く規則でもプロドライバーの出場を制限している。SUGOでは初年度から毎年開催されており排気量別に分かれたエントリーは時に50台を越える人気のシリーズとなった。2000年過ぎまで総合優勝は戦闘力のあるスカイラインGT-R、ポルシェに限られていた。1995年から多少改造が認められ「スーパーN1耐久」となり、1998年からはより改造範囲の広い「スーパー耐久」となった。現在では、GT3車両なども参加できるようになった。  
1991.7 SUGOにミハエル・シューマッハ登場。  
1991年ベルギーGPでF1デビューを果たす約1ヵ月前、全日本F3000選手権第6戦のスポーツランドSUGOに彼の姿があっ た。初めてのF3000マシンとSUGOのコースであっさり2位に入賞を果たす。
1991年7月にSUGOで全日本F3000第6戦が行われ、後にF1のチャンピオンに就くミハエル・シューマッハが参戦した。SUGOで行われたレースにF1のチャンピオンが参戦したのは、カートで参戦のセナとシューマッハのみ。当時、シューマッハは無名だったわけではなく、1990年にはドイツF3に5勝してチャンピオンに就き、この年のマカオGP、翌週の富士で行われたインターF3リーグで連勝した。メルセデスの若手育成プログラムに選ばれ、WSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)にザウバー・メルセデスで参戦、最終戦のメキシコでは初優勝。「将来のF1チャンピオン」と言われていた。シューマッハがヨーロッパのF3000には参戦せず、SUGOの全日本F3000戦に参戦したのは日本の「予選用タイヤを経験しておきたかった」と語っている。後の1996年に弟のラルフ・シューマッハが日本のレースにフルシーズン参戦したのも彼の助言があったと言われている。  
1994.5 全日本ニューツーリングカー選手権開催。  
2000ccノンターボ車による2ヒート制の超スプリントの新シリーズ。トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、BMW、オペルなど参加車両はバラエティに富んでいる。
1994年から全日本のツーリングカーはグループA規定からFIAクラスⅡのニューツーリングカー、2リッターエンジン・4ドアセダンによって争われることとなり、超スプリントの2ヒート制で争われるシリーズはヒート間の作業時間が限られることが最大の見所になった。初年度のタイトルはトヨタコロナの関谷正徳、トム・クリステンセンとシュニッツアーがスティーヴ・ソーパー(BMW318iS)の3人の間で争われた。第2大会のSUGO戦もクリステンセンとソーパーが星を分けた。初代のシリーズチャンピオンは最終戦の富士で逆転した関谷正徳が獲得。 1995年から名称が「スーパーツーリング」と改称。SUGOではエクシヴに乗る関谷正徳が連勝。1996年国内3メーカーは、トヨタエクシヴ、日産プリメーラ、ホンダアコードの戦いが激化。新ツーリングカーシリーズはSUGOでは5年間、5大会10レースが開催された。  
1994.9 全日本GT選手権シリーズ始まる。  
日本独自のカテゴリー、500馬力のGT500クラスと300馬力のGT300クラスに分かれ、イコール コンディションを図るためウエイトハンディなど各戦調整を行う。これによって連勝することを 難しくしシリーズの展開を面白くしている。
1992年限りで終了したグループCのJSPCの後を受けて1994年からグループCなどの2座席レーシングカーとJTC参加のツーリングカーの参加が認められて始まった全日本GT選手権。1994年9月にSUGOで行われた「SUGO GT&F3選手権レース」には1台のポルシェ962C、フェラーリF40の他はトヨタスープラ、スカイラインなどによってレースが行われ、高橋国光/土屋圭市組のポルシェ962Cが優勝。本格的にGTレースの形態が取られるようになったのは1995年からで、9月のSUGOではGTマシンのみで行われ、アンソニー・リード/近藤真彦組のポルシェ911 GT2が優勝。1996年からマクラーレンF1GTRがデビット・ブラバム/ジョン・ニールセン組と服部尚貴/ラルフ・シューマッハ組の2台が参戦、ホンダもNS-Xを投入、現在に続くトヨタ。ニッサン、ホンダの対決の構図が始まる。 1998年までは最終戦に位置づけられ、タイトル争いなどの舞台になることが多かった。  
1996.8 全日本F3000選手権の後継版、
     全日本選手権フォーミュラ・ニッポン開催
 
新設フォーミュラ・ニッポンは1987年から続いていた全日本F3 0 0 0選手権シリーズの後継版。SUGO初年度の大会では弱冠22歳の高木虎之介がポールポジションからスタート、パーフェクトウインを飾っている。
各サーキット、参加自動車メーカー、フジテレビなどから新たなトップ・フォーミュラの運営団体として日本レースプロモーション(JRP)が設立され、1996年からF3000規定のまま「フォーミュラ・ニッポン」が新規シリーズとしてスタートを切った。ヨーロッパ国際F3000が車両をワンメイク化。国内ではこれに対して国内ではシャシーはレイナード、ローラ、童夢が製作していた。2003年からはローラのワンメイクに移行、2006年からトヨタとホンダのエンジンが供給されることになり、2社のエンジン供給体制は現在に引き継がれている。 SUGOでは1996年から一貫してトップフォーミュラのレースを開催。1996年初年度優勝の高木虎之介など多くのF1ドライバーを輩出してきている。2009年からスウィフト製のシャシーに変更され、エンジンもⅤ8、3.4リッターエンジンに改められた。  
1998.10 ジャパンカートプリSUGOで最終開催。  
1977年より大勢のトップカーターを育ててきたジャパンカートプリがSUGOでの開催が最後となった。そのステージとなったSUGO国際カートコースはSUGOマルチコース、現在はSUGO西コースとして全日本イベントが開催されている。
1977年の第1回から国内唯一の国際カートレースとして開催されてきた「ジャパンカートレース」は、79年に「ジャパンカートグランプリ」と大会名称を変え、さらに1998年から「ジャパンカートプリ」(JKP)と変更され受け継がれてきた。この国際レースは1999年につま恋国際カートコースで開催されたのを最後に終焉となる。SUGOでの国際レースは98年が第22回目として最後の開催となった。  
大会期間中の3日間は、東北地方を襲った台風の影響をもろに受け、路面コンディションが毎日変わり、参加ドライバーの経験と技量が問われるレースとなった。優勝はベテランの大竹時男が制し、賞金100万円をゲットした。
 
2004.11 SUGOはモータースポーツ事業に特化。    
レクリエーション、ホテルくぬぎ山荘など総合レジャー施設として営業してきたが、事業集約により、レース開催やコース運営などモータースポーツ事業に特化した施設として、新たなスタートを切ることとなった。    
     
 
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